2020年 08月 24日
人物を描くこと。 |
処暑を過ぎて少し気温が下がったような気もしますが、やっぱり暑い。
8月ももう終盤です。
新型コロナウイルスの一日の感染者は先週は少し減ったものの、まだ各地でクラスターも起こっているし、若い人から年配者まで広がってきています。
9月もモデルさんを使ったクロッキー会はお休みにして「自由制作会」とします。
2010年の9月から始めたクロッキー会ですが、10年経って今年3月からはコロナの影響でお休みにしています。もう少し感染者が減ってきたら、定員を少し減らしてまた再開したいと考えていますので、クロッキーや人物画の会を楽しみにしている方はもうしばらくお待ちください。
絵は大きく分類すると具象画と抽象画に別れます。具象画の中でも風景画や静物画や人物画などに分けられます。他にももっと分類の仕方はあると思いますが、一般的な分け方です。
風景や静物を描くのはそんなに問題は感じないのですが、人物画となると少し問題が生まれてきます。それは誰を描くかということです。それは自分が選んだモデルさんなのか?あるいはプロのモデルさんなのか?またあるいは家族の誰かなのか?モデルによって表現したいことや絵の見方も変わってくると思います。
もちろんプロのモデルさんは美人でスタイルもいいしポーズも決まっているし長い時間動かずにポーズをしてくれるので、絵の勉強にはうってつけです。しかし、自分の好きな人を描いたり、親や子供、妻や夫など身近な人を描くことはプロモデルとは違った愛情や感情が篭って見る人に訴えかけます。
僕が初めてモデルを見て人物を描いたのは、高校の同級の女性でした。別に彼女というわけでもなくクラスも違ったのですが、とても個性的で雰囲気を持っている人だったので、親しい美術部の女友達に頼んでもらいました。意外とあっさりと引き受けてくれて、放課後に美術部の片隅で描くことになりました。最初はデッサンをしてその後30号くらいの油絵を描いたのですが、最終的にはあまり気に入ったものにならなかったのですが、そうやって自分でモデルさんと対することはとても良い経験になりました。
彼女は卒業後、劇団に入り児童演劇を中心とした劇団を立ち上げその主演女優として頑張っていました。僕も大学を卒業してからそのことを知り東京での公演を何度か見に行きましたし、いまだに年賀状のやりとりをしています。
考えてみると、ちゃんとモデルさんを自分で探して描いたのはそれ以来ありません。人物を描くこともありましたが、特定の人物ではなく自分の頭の中にある人だったので特にモデルは必要がなかったのです。最近は風景や建物ばかりで人もあまり出てこなくなりました。
現在はジェンダーについての考え方でヌードモデルを授業で描かない美術大学もあります。なぜ女性のヌードを描くのかというはっきりとした理由もないまま、クロッキーや油絵のモデルに若い女性のヌードモデルが使われます。
では子供はどうでしょう?子供も少しエロチックなポーズをさせたりしてしまうと、これもまた大きな問題になりそうで、気軽に他人の子供をモデルにするのも難しい時代になってきました。少女にバルチュスの絵のようなポーズをさせることは今では容易なことではありません。
また描く人種によっても、自分が描こうとする意味以外の理由をつけられてしまいます。黒人を商品のパッケージに使うことでも問題になったりもする時代です。
では、誰をどう描くのか?作品として人物画を発表する場合それが今まで以上に問われる時代でもあるのです。
by mitsuo_ishimoto
| 2020-08-24 21:30
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