2010年 07月 05日
龍馬伝が熱い! |
日曜の夜になると龍馬伝を見ている方は多いのではないでしようか?
今までの大河ドラマにくらべ、誇りっぽく、汗臭く、リアルな表現が多いのですが、僕にとってはまた違う意味でリアルなドラマに感じるのです。
昨日は 吉田東洋を暗殺したのはだれか?を追求されて武市半平太は投獄され、以蔵が拷問されます。それを助けるために龍馬が自分が暗殺したと芝居を打つ場面が放映されていました。
実際の暗殺者は土佐勤王党の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の三人。
3人とも暗殺後直ちに脱藩しています。
龍馬は1862年の3月23日に脱藩しています。吉田が暗殺されたのは4月8日です。
その後、那須信吾は先に土佐を脱藩した吉村寅太郎らが作った天誅組に参加して挙兵して
奈良の五条代官所を襲撃します。幕府軍の追撃を逃れて奈良の吉野の山中を逃げ、
最後に僕の実家の近くで彦根藩と決戦し天誅組の志士17人が戦死、召捕され、天誅組は壊滅します。
那須真吾は僕の実家のすぐ近くで戦死し、その石碑がたっています。那須は享年35歳。
総裁の吉村寅太郎は27歳の若さでした。
当時は天誅組の志士が隠れないように、家の戸は夜になっても開け放しにさせられ、
道ばたには首を切られた志士のむごたらしい死体がごろごろしていて、
村人は食事ものどを通らなかったということです。
以降、村人は天誅義士の墓をたてその霊を弔ってきました。
子供のころからよく聞かされていたこれらの事実とドラマが微妙に重なって今回の龍馬伝は映像にもまして、リアルに感じるのです。
彼らの行動が正しかったのかどうかはわかりませんが、命をかけてこの国を変えようと権力に立ち向かった意思はその後受け継がれて新しい日本を作っていったことは確かです。
小中学時代の恩師、阪本基義先生の著書「草莽ノ記〜天誅組始末〜」から参考にさせていただきました。
余談ですがドラマでも武市半平太は獄中で絵を描いています。
実際辞世の句とともに自画像も残しています。それが意外とうまい。
果たして僕は死ぬ前に辞世の句をつくり自画像など描く余裕があるでしょうか?
今までの大河ドラマにくらべ、誇りっぽく、汗臭く、リアルな表現が多いのですが、僕にとってはまた違う意味でリアルなドラマに感じるのです。
昨日は 吉田東洋を暗殺したのはだれか?を追求されて武市半平太は投獄され、以蔵が拷問されます。それを助けるために龍馬が自分が暗殺したと芝居を打つ場面が放映されていました。
実際の暗殺者は土佐勤王党の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の三人。
3人とも暗殺後直ちに脱藩しています。
龍馬は1862年の3月23日に脱藩しています。吉田が暗殺されたのは4月8日です。
その後、那須信吾は先に土佐を脱藩した吉村寅太郎らが作った天誅組に参加して挙兵して
奈良の五条代官所を襲撃します。幕府軍の追撃を逃れて奈良の吉野の山中を逃げ、
最後に僕の実家の近くで彦根藩と決戦し天誅組の志士17人が戦死、召捕され、天誅組は壊滅します。
那須真吾は僕の実家のすぐ近くで戦死し、その石碑がたっています。那須は享年35歳。
総裁の吉村寅太郎は27歳の若さでした。
当時は天誅組の志士が隠れないように、家の戸は夜になっても開け放しにさせられ、
道ばたには首を切られた志士のむごたらしい死体がごろごろしていて、
村人は食事ものどを通らなかったということです。
以降、村人は天誅義士の墓をたてその霊を弔ってきました。
子供のころからよく聞かされていたこれらの事実とドラマが微妙に重なって今回の龍馬伝は映像にもまして、リアルに感じるのです。
彼らの行動が正しかったのかどうかはわかりませんが、命をかけてこの国を変えようと権力に立ち向かった意思はその後受け継がれて新しい日本を作っていったことは確かです。
小中学時代の恩師、阪本基義先生の著書「草莽ノ記〜天誅組始末〜」から参考にさせていただきました。
余談ですがドラマでも武市半平太は獄中で絵を描いています。
実際辞世の句とともに自画像も残しています。それが意外とうまい。
果たして僕は死ぬ前に辞世の句をつくり自画像など描く余裕があるでしょうか?
by mitsuo_ishimoto
| 2010-07-05 12:16
| いろいろ
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