2010年 11月 07日
秋の文化祭です。 |
昨日と今日は所沢市の公民館では秋の文化祭です。
講師をしている絵画サークルがある2つの公民館の展示会を見にいきました。
午前中はパレットの会を見に行き。
午後は蕗のとうの会の展示を見に行きました。
どちらも、場所の都合もあって小さい作品が多かったのですが力作ぞろいでした。
ちょっと調べてみたら全国に公民館は18,000館ほどあるそうです。月刊公民館という雑誌もあるというのを以前テレビで紹介していたので、ネットでしらべてみたらやはりありました。
社団法人全国公民館連合会というところから出版されています。
11月号は若者が公民館に来ないという現実から、若者が集まる公民館について特集していました。
確かに、僕が知るかぎりでは公民館の活動はそんなに若い人が多く無いように思います。
講師をしている二つの絵画サークルも平均年齢は上がってきていて40歳代や50歳代の人も少ないです。でも、60歳以上の方が元気で文化活動やスポーツに励んでいるのは良いことです。
80歳になっても、90歳になっても公民館に通って 絵を描いたり、書を書いたり、俳句を詠んだり、歌を歌ったりしていられればすばらしいことです。
文化祭で自分の日頃の活動の成果を発表するのは、小さなことですが絵を描くエネルギーになりますし、そこでまた新しい出会いや発見があったりするのです。
絵を描く行為は自分の中に籠る内省的な作業だし、一人でこつこつ続けることなので、スポーツやダンスなどのように活発に人と交わるわけではありませんが、こうした公民館活動などで、一緒に絵を描き、展覧会をすることは、ついつい閉じこもりがちな自分を外に向けてくれる良いチャンスだと思います。
余談ですが、公民館の歴史について調べてみました。1923年警視庁を辞め読売新聞を作ろうとした正力松太郎に後藤新平(台湾総督府民政長官や満鉄総裁などを歴任した官僚、政治家。NHKの初代総裁でもある)が資金面で支援したそうです。その後正力松太郎は恩返しとして後藤の故郷の岩手県水沢町に資金を寄贈。そのお金で1941年に建設したのが「後藤新平記念公民館」だそうです。
戦後1946年「公民館」に改称されます。そのころから各地に公民館ができていくそうです。ちなみに岩手県水沢市(現奥州市)は民主党の小沢一郎氏の地元です。
講師をしている絵画サークルがある2つの公民館の展示会を見にいきました。
午前中はパレットの会を見に行き。
午後は蕗のとうの会の展示を見に行きました。
どちらも、場所の都合もあって小さい作品が多かったのですが力作ぞろいでした。
ちょっと調べてみたら全国に公民館は18,000館ほどあるそうです。月刊公民館という雑誌もあるというのを以前テレビで紹介していたので、ネットでしらべてみたらやはりありました。
社団法人全国公民館連合会というところから出版されています。
11月号は若者が公民館に来ないという現実から、若者が集まる公民館について特集していました。
確かに、僕が知るかぎりでは公民館の活動はそんなに若い人が多く無いように思います。
講師をしている二つの絵画サークルも平均年齢は上がってきていて40歳代や50歳代の人も少ないです。でも、60歳以上の方が元気で文化活動やスポーツに励んでいるのは良いことです。
80歳になっても、90歳になっても公民館に通って 絵を描いたり、書を書いたり、俳句を詠んだり、歌を歌ったりしていられればすばらしいことです。
文化祭で自分の日頃の活動の成果を発表するのは、小さなことですが絵を描くエネルギーになりますし、そこでまた新しい出会いや発見があったりするのです。
絵を描く行為は自分の中に籠る内省的な作業だし、一人でこつこつ続けることなので、スポーツやダンスなどのように活発に人と交わるわけではありませんが、こうした公民館活動などで、一緒に絵を描き、展覧会をすることは、ついつい閉じこもりがちな自分を外に向けてくれる良いチャンスだと思います。
余談ですが、公民館の歴史について調べてみました。1923年警視庁を辞め読売新聞を作ろうとした正力松太郎に後藤新平(台湾総督府民政長官や満鉄総裁などを歴任した官僚、政治家。NHKの初代総裁でもある)が資金面で支援したそうです。その後正力松太郎は恩返しとして後藤の故郷の岩手県水沢町に資金を寄贈。そのお金で1941年に建設したのが「後藤新平記念公民館」だそうです。
戦後1946年「公民館」に改称されます。そのころから各地に公民館ができていくそうです。ちなみに岩手県水沢市(現奥州市)は民主党の小沢一郎氏の地元です。
by mitsuo_ishimoto
| 2010-11-07 18:28
| いろいろ
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